12月17日3時30分、ピユッチが旅立ちました。
ピユッチをご心配頂きエールを送って頂きました皆さんに厚くお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
生まれてから11年2ヶ月半。
日本に一時帰国している時以外、ずっとずっと一緒だったピユッチ。
いつも傍にいてくれて私を支えてくれました。
私にとって、ピユッチの存在は、言葉に表さなくてもきっと皆さんには分かって頂けると思います。
12月に入ってからの様子です。
調子が悪い日と良い日を交互に繰り返す。
まるで接触不良の電化製品みたいだった。
接触がいい日は動けるけど、悪い日は全く動けず。
点いたり消えたり。
そんな感じ。
そう言えば分かって頂けるかもしれない。
12月9日、一日調子悪かった。外に出しても全く反応せず。
夕方から危険と感じたが、夜中から持ち直す。調子の良い日は玄米や押し麦を小さじ2杯程食べ。
大好きだったマンゴーは気が向いた時だけ。
調子のいい日は朝夕5切れずつのパン。
ピユッチが喜びを表して最後まで食べてくれたパンは私にとって救いになった。
12月15日パンを食べる時は何故か普通になる。夫にパンをもらおうと待っているところ。[
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VPS12月16日
前日はかなり様子が悪かったが、この日は朝から調子が良さそうだった。
朝、パンを食べ押し麦を食べた。
食後、ケージの寝床に座る。
午後から寝床を出て立ったままの姿勢に。
両翼を垂らして動けなくなった。
12月に入ってから悪い日はいつもそうだった。
筋力の衰えが気になっていた。
両翼は寝床につくほどになる。夕方までこの状態。
普段は、18時を過ぎると寝床に移るがが座る様子がなく立ったまま。
かなり状態が悪くなったと覚悟を決め、ケージの横に布団を敷く。
この日、室内は30℃越え。
それなのに、足も鶏冠も冷たくなっていた。
ダンボールの中にピユッチを移す。
箱の中で足元がふらつきあちこちにぶつかるようになる。
体を支えているのがやっと。
それでも、ワカメのあげる物音に反応して鳴く。
これがピユッチの最後の声だった。
日が変わり、3時過ぎにとうとう座り込んでしまった。
体を斜めに保つのがやっとだった。
湯たんぽを足元に置きタオルをかけ頭を撫でて足をさすった。
ピユッチは目を瞑ったり俯いたり。
呼吸が小刻みに速くなっていく。
これが最後の写真。苦しむことはなかった。もう、頭を撫でて声をかけてあげるしか出来なかった。
でも、目を開けた時は私の顔をじっと見ていたし声も届いていたんだと思う。
12月17日3時40分、最期は私の腕の中で息を引き取った。
ナデナデしていっぱいいっぱい抱き締めた。
ピユッチは8月25日から12月17日までの3ヶ月と22日間、結局飼料を口にすることはありませんでした。
2,3キロだった体重が1,3キロ台に落ちてからは果物や僅かな穀類を口にするだけ。
それなのに、そこから体重が落ちることなくとても不思議でした。
本当はとても食べることが出来る体ではなかったと思います。
それでも、わがままいっぱいに世話を焼かせてくれたことは、私にとってこれ以上ない幸せだったと思います。
私にやるだけのことをやらせてくれたこと。
ピユッチも力を出し切って生き抜いてくれたこと。
最後までピユッチらしさを失わなかったこと。
不思議とピユッチが亡くなってしまっても、ショックや悲しみは自分が想像していたものより遥かに少ないです。
旅立ってからも泣いたり悔やんだりは全くないんです。
私にお別れする覚悟を、長い時間をかけてゆっくり受け入れさせてくれたのかもしれませんね。